涙のSay Good-Bye

Miss Moonlightさん、☆ラクウェル☆さんから、
僕の自作の曲を聴いてみたいというコメントを戴き、
取りあえずうちの店のHPに1曲だけUPしてますとお答えしましたが、
今回は恥ずかしながら、その曲について少し書いてみたいと思います。
実はうちの店のHPには、かなり前からUPされているのですが、
何の説明もなく、人知れずひっそりと・・・といった感じでしたので。
お聴きいただいた方はいらっしゃいますでしょうか?
http://www.fanfan1.com/sub14.htm


この曲のタイトルは「涙のSay Good-Bye」、
演奏は小河恭子(おごうきょうこ)とセバスチャン名義で、作詞・作曲が僕です。
ヴォーカルの小河恭子さんは、元々はソロでピアノの弾き語りをしてましたが、
当時僕が久留米で組んでいたバンドのリーダーが、
小河さんの後輩であった繋がりから、一緒に組むようになり、
メンバーを再編して活動していました。
今の店を始める直前くらいですから、もう四半世紀も前の話ですね。
当時のメンバーとは、最近はなかなか逢える機会がありませんが、
小河さんは今でも時折ソロでライブ活動を行なっている事が
ネットを見ていて判りました。


で、この曲なんですけど、今思えばよくもまあこんな
身もフタもない悲しい歌を作ってしまったもんですよね。(汗)
実は本来「涙のクリスマス・ソング」というタイトルで、
ホワイト・クリスマス」「ブルー・クリスマス」「ラスト・クリスマス
「ハッピー・クリスマス」「メリー・クリスマス・ダーリン」といった
お馴染みのクリスマス・ソングのタイトルを織り込んだものでした。
でもそれではクリスマス・シーズンしか歌えないからということで、
オール・シーズン歌えるように、歌詞を改訂したのが、
この「涙のSay Good-Bye」です。
当時はよく言われたものでした。「失恋したんですか?」と。
答は「NO!」です。
失恋の曲を書く度にほんとに失恋してたら、
いくらなんでも身がもたんがな!(笑)
第一ほんとに失恋した時に、曲なんて書けるもんですか!


で曲調は殆どいつの時期に作ったのか特定出来ないほど、
昔からあるオーソドックスな三連バラードです。
サビの部分のコード進行が結構複雑で、3回転調しますが、
実はこれもスタンダード・ナンバーあたりにはありがちなパターンです。
イントロの語り風の部分のみ、小河さんの即興によるものです。
間奏の部分でちょっぴり、ジョージ・シアリングという人が産み出した
シアリング・ユニゾンという手法を真似てみましたが、
いくらかは雰囲気出てるでしょうか?


この曲の場合は女性が歌うことを前提にして作りましたので、
歌詞も女性のものになっていますが、
通常は僕は女性言葉で歌詞を書くことは殆どありません。
(もしかするとかつての青春歌謡の影響かも知れませんが。)
それと一人称はまず例外なく「僕」です。
このブログの文面を見てもお判りのように、
僕が使う一人称は(あらたまった時には「私」も使いますが)
通常の会話では100%「僕」です。
「俺」は使いません、というか使ったことがありません。
何故?って聞かれても返答に困るのですが。
英語だと一人称は常にI(アイ)のところが、
日本語では「私」「僕」「俺」、あるいは
「あたし」「あたい」「おいら」「わし」「わい」「わて」
「拙者」「それがし」・・・そんなの歌詞に使わんだろ!!!
一人称が変わるだけで、曲全体の雰囲気もガラッと変わりますよね。


そう言えば「僕」と「俺」で思い出すのは、
シカゴの初期の曲のタイトルです。
デビュー当時は「ぼくらに微笑みを」「ぼくらは何処へ」「ぼくらの国」
といった具合に、一人称には「僕」が使われていました。
ところが「シカゴⅤ」では「俺達のアメリカ」「俺達の見た未来」となり
訳詞に使われる一人称も「俺」に変わりました。
ロックには「俺」の方が似合うだろう・・・
といった程度の理由だったみたいです。
次のアルバム「遥かなる亜米利加」では再び「僕」が登場します。
「僕」の方が大人になりきれていない感じが出るのではないか?
ということらしいです。
どっちでもいいだろ!と突っ込みを入れられそうですが、
そこはそれぞれの訳者の想いがあったのでしょう。


さて「涙のSay Good-Bye」以外の僕の曲を世に出せる日は、
いつ来るのでしょうか?