鮎川さん&シーナさん

日曜の朝は、以前から大変お世話になっている、
べーさん(orべーちゃん)こと、竹内出さんの番組をよく聴いてます。
ユーモアを交えたソフトな語り口ですが、
実はロック、それもハード・ロックが大好きな方である事は、
ご本人からも聞いています。
今朝もボサノバの後に、突然ジミ・ヘンドリックスやクリームがかかったりして。
でもべーさんの番組であれば、それも全く違和感はありません。


ロックと言えば、昨晩は地元北九州で毎年夏になると開催されている、
北九州ミュージック・プロムナードのオープニング・イベントとなる、
鮎川誠さんとシーナさんのトーク・イベントを覗いて来ました。
プロムナードを運営している方々や、出演するミュージシャンの方々には、
以前から僕も店やラジオを通じてお世話になっている方がとても多く、
僕も時間的に可能な限り、顔を出すようにしています。
鮎川さん、シーナさんとも、CROSS FMでDobbさんとやっていた番組等を通じて
何度もお逢いする機会があり、毎回熱いお言葉と元気をいただいています。


鮎川さんは久留米出身で、僕も一時期久留米のレコード店に勤務していましたので、
当時の同業者の方から、かつて鮎川さんが店でロックのレコードを
一生懸命試聴されていたのを、よく覚えていると聞きました。
またその頃には、KBCの松井伸一さん、RKBの井上悟さんといった方々の
ロック&ポップス系の番組も聴かれていたそうなので、
鮎川さんの音楽的な素養は、きっとその時代に培われたものでしょう。
その後伝説的ロック・バンド、サンハウスでの活動を経て、
妻シーナさんの故郷である若松在住、その時期に
Dobbさんやルースターズのメンバー等、
地元を代表する多くのミュージシャンと知り合う事になります。


鮎川さんと言えば、黒縁メガネがトレードマークのようになっており、
デビュー当時のエルヴィス・コステロにそっくりだったので、
和製コステロと呼ばれた時期もありました。
実際にコステロの前座を務める事もあったそうです。
しかし正しく言えば、鮎川さんはコステロの影響を受けた訳ではなく、
コステロが影響を受けたミュージシャンから、
鮎川さんも同様の影響を受けたという事になるでしょう。
バディ・ホリー、ピーター&ゴードンのピーター・アッシャー、
シャドウズのハンク・マーヴィン、ロイ・オービソン等、
黒縁メガネをトレードマークとするミュージシャンは、
ロックン・ロール創世記から存在していました。
特にバディ・ホリーは、1959年2月3日に飛行機事故の為、22歳の若さで
同乗していたリッチー・ヴァレンス、ビッグ・ボッパーと共に世を去った
偉大なロック・ミュージシャンで、もし彼が存命していれば、
間違いなくポピュラー音楽の歴史は、大きく違ったものになっていたでしょう。
エルヴィス・プレスリービートルズの位置づけも変わっていたでしょうし。
ドン・マクリーンの名曲「アメリカン・パイ」の中に
「その日、音楽は死んだ・・・」という箇所がありますが、
その日というのが、バディ・ホリーが亡くなった日を指している事は
今ではよく知られていますね。
そのようなロック・スピリットをなお持ち続け、
還暦を過ぎた今も現役のロック・ミュージシャンである鮎川誠さん、
そして最良のパートナーであるシーナさんのお二人。
お逢いするたびに、変わらぬその存在感に圧倒される、
とにかく凄い方々です!