僕にとっての久留米時代

今朝パソコンを開いた時には、
FM福岡でべーちゃん(竹内出さん)の番組があっていました。
竹内さんはかつてFM福岡の大人気パーソナリティであり、
またテレビにも進出して、MTV時代に地元で一世を風靡した番組
「ナイト・ジャック・フクオカ」をされていました。
(初代アシスタントは、今は亡き清水クーコさんでした)
その後は久留米のドリームスFMを経て現在は、
北九州のコミュニティ局「FM KITAQ」の局長であり、
べーさんの名前で、自らも多くの番組で喋っておられます。
僕も局では長年に渡って大変お世話になりましたが、
今年に入ってなかなかお逢いする機会がなく、失礼しております。
更に古巣のFM福岡でも番組を持たれており、
以前と全く変わらない流麗なお声と、パワフルなお仕事ぶりは、
まさにラジオ人の鏡と、いつも尊敬申し上げております。 


ところで「ナイト・ジャック・フクオカ」といえば、
僕にとってはまさに久留米でバンドをやっていた頃であり、
その時代の様々な記憶に直結しています。
僕にとっての久留米時代は、東京の大学を卒業してから、
北九州に現在の店を開店するまでの間、約7年間であり、
大手の楽器メーカーの、レコード・ショップ部門を担当していました。
当初は福岡の寮から通っていましたが、
途中から久留米在住となり、バンド活動をやったのもその頃でした。
そういえば僕のこれまでの経歴を人に話す際に、
久留米時代の事柄については、なんとなく軽くスルーして
しまうことが多いような気がします。
現在の僕にとって結構大きな意味を持つ時期であるにも関わらず。
おそらくこの時期の活動が僕にとって不完全燃焼であり、
つまり未だに決着が付いていないからなのでしょう。
そんな折も折り、先日このブログでも書いた久留米時代の
バンドのヴォーカル、小河恭子さんからコメント書き込みに続いて、
今度は直接メールをいただきました。
普段は他に仕事をしながら、声がかかればライブ活動をやっているとの事で、
基本あの頃と変わっていないようです。
それにしてもバンド活動について書いてから幾日も経っていないのに、
20年来、連絡が取れなかった方から連絡が入るとは、まさにネットの威力!


まああの頃と同じ活動を、今またやってみたいと思っている訳ではありません。
あれ以降、店を構えラジオに関わり、そんな中で多くの方々と接触し、
それまでにはまだ知らなかった多くの音楽に出逢い、
様々な人生を知り、ドラマを知り、
それらを統括出来るような活動をやってみたいと思っています。
まだまだ具体的な内容については考え中で、漠然としてますが、
とにかく自分自身を何らかの形で表現して行くという方向性で。
もちろん店とラジオという手段は既にやっている訳ですから、
それらとも密接に関わりながら、更に一歩進んだ道を。
以前に比べて、自分を表現できる手段は、格段に進歩して来ています。
当時はまだCDすら一般的ではなく、自分のレコードを作るなど、
夢のまた夢という時代でしたが、今や地元のインディーズ・バンドであっても、
自分達のCDを作るという事は、ごく普通に行なわれています。
それらを自分達のライブ会場で販売するというのも、ごく普通でしょう。


これまでにいろんな人達と知り合い、
その中には僕にとって重要な意味を持つ人、
大きな刺激を与えてくれる人も少なくありません。
忘れかけていた久留米時代の事を想い出しながら、
これからどのように活動を拡げて行こうか、
色々と想いを巡らす今の時間です。
久留米時代の具体的な活動状況については、
機会があればまた書くかも知れません。
さあ、そろそろ店の仕事に行かなくちゃ!