来日アーティスト

音楽関係の仕事をしていると、
さぞ多くのコンサートに足を運んだと思われるでしょうが、
僕の場合はそんなに多い方ではありません。
海外からの来日アーティストに限定すれば、
十組にも満たないくらいですね。


僕にとってのコンサート初体験は、中学3年の時、
ちょうど大阪万博の年で、家族で行った時が偶然、
フィフス・ディメンションのコンサートの日程と重なっており、
楽勝でチケットを手に入れて、観ることが出来ました。
フィフス・ディメンションと言えば、ソフトロック・ファンの間では、
ソフトロック・コーラスの代名詞的な扱いを受けている、
男性3人、女性2人からなる、黒人グループです。
ゴスペルを基調としながらも、ママス&パパスと双璧を成す
躍動感溢れる若々しいハーモニーが魅力で、
黒人・白人といった人種の枠を超えて、幅広い人気を獲得しました。
1967年には「ビートでジャンプ」、1969年には「輝く星座」で
グラミー賞レコード・オブ・ザ・イヤーを受賞しています。
僕が観た1970年といえばまさに絶頂期で、
目の当たりにした彼等のステージは、実に完璧なものでした。
かなり前の方の席だったので、女性メンバーのフローレンス・ラルーと
握手まですることが出来ました。
本当は超美人のマリリン・マックーの方が良かったのですが(!?)
フローレンス・ラルーも知的で優しそうな感じで、魅力的でしたよ。


その後は高校1年の時、連休を利用して大阪で観たバート・バカラック
当時将来の夢は「バート・バカラックみたいになりたい!」と言ってたそうですが、
僕本人はまるで覚えていません。
高校3年の時には、たまたま行けなくなった友人のチケットが廻って来た
シカゴの福岡公演。
大学受験を目前に控えた時期でしたが、行っちゃいました。
ただ当時は初めての本格的ロック・コンサートという事で、
ちょっと戸惑いもありました。
まだアルバムをじっくり聴き込むといった段階ではなかったので、
結構知らない曲も多く、またレコードに較べて多少粗い演奏かな?
といった印象もありましたね。(今なら存分に楽しめたでしょうが)


そして大学に入ってすぐ、カーペンターズの武道館公演。
葉書での応募、抽選によってやっと手に入れたチケットは、
本人達が殆ど米粒にしか見えないような、遥か上の方の席でしたが、
それから十年足らずでカレンが亡くなってしまった事を思えば、
本当に貴重な体験でした。
カレンは優れたシンガーであることは言うまでもありませんが、
その前にロック・テイストを充分に持った、優れたドラマーでした。
音作りはもちろん完璧で、お馴染みのオールディーズ・メドレーでは、
レコードとはかなり選曲を変え、ロックン・ロール・ショー的要素を
前面に押し出していました。


社会人になってからは、クリストファー・クロス〜ジャーニー
バリー・マニロウの三連チャン!
誠実そのもののクリストファー・クロス
エキサイティングなジャーニー、
ショウアップされたバリー・マニロウと、
いずれも乗りに乗っていた時期のアーティストばかりで、
三者三様に楽しめました。


そしてバンドを始めてからは、勉強の意味もあって
バンドのメンバー全員で観に行った、TOTO、ナイトレンジャー。
特にナイトレンジャーは、他にも職場の仲間、
いつも店に遊びに来てくれてた学生連中(彼等も皆バンドを組んでました)等々、
総勢20名近くのメンバーで、賑やかに会場に向かったのをよく覚えてます。


そう言えばラジオを始めてからは、
却ってあまり来日アーティストのライブには行ってないですね。
むしろ地元で開催される高塔山ジャムのように、
比較的身近なアーティスト達が多数出演するライブに
足を運ぶことの方が多くなったようです。
行きつけのライブハウスにも、地元で活躍する
凄いミュージシャンの方たちが連日出演してますし。
やっぱライブはいいですね!
あー!僕もやりたくなっちゃった!!!