エルヴィス・プレスリー

昨日8月16日はエルヴィス・プレスリーの32回目の命日に当たります。
彼の訃報を聞いたのは、大学の夏休みで帰省中、
確か親戚の家に遊びに行っていた時だったと思います。
以前から肥満気味で心臓に負担がかかっているとは聞いてましたが、
まさか42歳の若さで亡くなるとは・・・
当時「全米トップ40」を担当しておられた湯川れい子さんも、
しばらくは茫然自失の日々が続いたと言われています。
突然の訃報に、一旦下降を始めていたシングル「ウェイ・ダウン」、
そして結果的にラスト・アルバムとなった「ムーディ・ブルー」も
再びチャートを上昇し始めました。


エルヴィス・プレスリーについて語るには、とても一つ二つの文章で
語り尽くせる筈もありませんが、
まあ一般に知られている事柄については最小限に留め、
僕から見たエルヴィスという観点からの話を中心に書きますね。
彼が世界的にブレイクを果たしたのが1956年、
この年の全米年間シングル・チャートを見てみると、
  1位 ハートブレイク・ホテル
  2位 冷たくしないで
  6位 ハウンド・ドッグ
  14位 アイ・ウォント・ユー、アイ・ニード・ユー、アイ・ラブ・ユー
  15位 ラブ・ミー・テンダー
となっています。
特に「冷たくしないで」と「ハウンド・ドッグ」は
なんと1枚のシングルのA面とB面で、
ポピュラー音楽史上最強のカップリングと言われています。
一方日本ではどうだったかと言うと、
「ハートブレイク・ホテル」「冷たくしないで」共に
ベストテン入りは果たしたものの、ベストテン中頃を行ったり来たりで、
No.1には届きませんでした。
それでも特に「冷たくしないで」はベストテン内に16週と
比較的息の長いヒットにはなりましたが。
僕の大学時代の恩師、故茂木幹弘氏の著書「DJ稼業20年」に
エルヴィスのチャート状況が掲載されていますので、ご紹介しましょう。
文化放送「ユア・ヒット・パレード」より)


1958年 ラブ・ミー・テンダー(1位)
    思い出の指輪(1位)
1959年 キング・クレオール(2位)
    ざりがに(5位)
    恋の大穴(2位)
1961年 G.I.ブルース(1位)
    燃える平原児(5位)
    サレンダー(3位)
    嵐の季節(4位)
1962年 マリーは恋人(5位)
    ブルー・ハワイ(1位)
    グッド・ラック・チャーム(5位)
    夢の渚(2位)
1963年 心のとどかぬラブレター(2位)
    ガール・ガール・ガール(4位)
    悲しき悪魔(2位)
1964年 アカプルコの海(2位)
    ラスベガス万才(2位)
    いとこにキッス(2位)
    青春カーニバル(4位)
    アスク・ミー(7位)
1965年 フロリダ万才(4位)
    涙のチャペル(4位)
1966年 ハーレム万才(4位)
1971年 この胸のときめきを(1位)
1973年 バーニング・ラブ(5位)


1958年3月より2年間の兵役に就いた影響で、
多少ブランクの期間があります。
復帰後は特に映画関係のヒット曲が多くなりますが、
1966年頃から人気は下降線を辿り、
1967〜68年頃には、殆どチャートに顔を見せなくなります。
僕が洋楽を聴き始めたのがその頃であるため、
当時エルヴィス・プレスリーという存在は、
まるでピンと来ていませんでした。
時折名前を聞いても、ビング・クロスビーと同等に感じる始末です。
(実際にはビング・クロスビーは、エルヴィスの二世代前ですが)
しかし1968年に放映されたNBCのTVスペシャルによって
復調の兆しが見え始め、翌1969年には
「イン・ザ・ゲットー」が日本の「今週のポピュラー・ベストテン」でNo.1、
そして「サスピシャス・マインド」は7年ぶりの全米No.1を獲得しました。
僕がエルヴィス・プレスリーを現役のシンガーとして認識したのは、
やっとこの頃になってからです。
また1970年の映画「エルヴィス・オン・ステージ」のヒットにより、
LP「この胸のときめきを」は、創設されてから間もない
オリコンのLPチャートでNo.1となっています。


しかし70年代のエルヴィスの日本での扱われ方は、
やたらと誇張したモノマネが横行したりで、
必ずしも好意的とは言えない状況が続いていたと思います。
彼の業績が正当に評価されるようになったのは、
今世紀に入ってからではないかとすら思われます。
実は僕はCROSS FMでエルヴィス・スペシャル・デイが実施された際に、
当時番組内でコーナーを持たせていただいてた
立山律子さんの番組の中で、エルヴィスについて語るという
機会を持たせていただいた事があります。
僕なんかより遥かにエルヴィスの事をご存じの方は
いっぱいいらしゃるだろうに・・・とも思いましたが。
で、店の方に取材にとの話だったのですが、
あいにく当日僕は店の方が休みだったため、
無理を承知であろうことか、クロスカーを僕の家の前に乗り付けていただいて、
自宅の庭から生放送を行ないました。
エルヴィスのLPジャケットを手にしながら、
彼の日本におけるヒット状況などの話をしましたが、
今思えば相当無茶したもんですね!
その頃には誰にも真似できない彼の歌声の魅力を
充分に理解出来るようになっている、自分に気付きました。