ジョンとポールのバラード その1

もう日付が替わりましたが、
12月8日は皆さんご存じのように、ジョン・レノンの命日です。
あの日からもう29年・・・
僕はとっくにジョンの年齢を越えてしまってるし、
ジョンの死後に生まれた世代が、どんどん増えてるし。


当時は久留米のレコード・ショップに勤めていて、
久々のニュー・アルバム「ダブル・ファンタジー」が発売されたばかり。
イニシャル(初回仕入分)がアッという間に完売し、
早速バックオーダーを入れたところでした。
1980年12月8日の昼過ぎ、店に電話がかかって来て、
当時の店長が電話に出ました。
しばらく話して電話を切ったあと、店長が言った言葉・・・


ジョン・レノンが死んだ・・・」


瞬間、何の事か判りませんでした。
電話はワーナー・パイオニアのセールス担当者から。
状況を受け入れるまでは、かなり長い時間が必要でした。
ジョンの訃報を聞いた、RKBラジオの井上悟さんは、
関わりの深い井上陽水さんと共に、電話口で号泣したとか。
その日の夜の「スマッシュ11」は、
いきなり「マザー」の鐘の音に始まり、井上悟さんが沈痛な口調で、
「皆さん、明日の正午にはお部屋の窓を開けて、
 ジョンの魂を天に送り出してあげて下さい。」
といったような内容の事を言われたと記憶してます。