魚町&豊後高田

はい、結構色々です・・・(意味不明)
でもって更新遅れ気味です・・・m(_._)m
精力的に更新を続ける周囲のブログ仲間達に較べて、あまりのマイペースさ・・・


最近の周囲の動きとしては、魚町ビジョン推進委員会による
魚町銀天街への大型スクリーン設置、無線LAN設置、共通ポイントカード等。
いたる所に知り合いが関わっているため、注目しています。
先日久々に夜の魚町銀天街を歩いてみました。
昼間は賑やかですが、夜になると閉まる時間も早く、空き店舗もあり・・・
僕がよく行ってた本屋さんも、おもちゃ屋さんも、
レコード屋さんも、殆ど今はなく・・・
まあ時代の移り変わりと言ってしまえばそれまでですが、
何とも言えない淋しさがつのって来ました。
今回の一連の動きが、本当の意味での活性化に繋がればいいのですが。


で、その日の目的は、魚町で永年に渡ってお茶屋の『つじり』をされている
辻さんという方が組んでいる、ピーター・ポール&マリーのコピーバンド
ATMの練習を拝見することでした。
辻さんのお母さんや従妹さんとは、直接・間接的に面識がありましたが、
ご本人とは半年ほど前にお店にお邪魔した際に、
ほんのちょっとご挨拶しただけでした。
それが先日、FM KITAQのMAGUさんの番組『青春のうた』
(僕も一時期、出演してました)に、ATMがゲスト出演、
生でPP&Mのナンバーを披露して下さいましたが、
そのハーモニーが素晴らしく、思わず番組宛てにメールを差し上げました。
しかも助っ人でウッドベースを弾いてる方は、
僕が小学校の時からよく行ってた、元レコード店の方。
『つじり』の店内で毎週1回練習されているとお聞きし、
是非練習を拝見したいとご連絡したところ、快くご了解いただきました。
僕が「ハリー・サンダウン」をよく知っていると言ったところ、
真っ先にその曲を歌って下さいました。
目の前で聴く歌声は、先日聴いたラジオでの歌声に、
更に輪をかけて素晴らしいものでした!
僕も高校の音楽部でコーラスをやっていたので、
人の声によるハーモニーの魅力・・・よ〜く知っています!
「音楽による街おこしをしたい!」と言われる辻さんに、
僕も是非ご協力したいです!とお伝えしました。


でもって同じ週の休みの日に、今度は豊後高田まで行って来ました。
ラジオ仲間のふなピーがFM KITAQでやっている番組『Bistro KITAQ』
(他にも浅ちゃんだの、ありちゃんだの、知り合いがい〜っぱい出てます)
内のコーナー「鉄ちゃんの各駅停車」を聴いて、
無性にJRに乗りたくなった、駅弁(無論かしわめし)が食べたくなった、
まあそんな事が直接のきっかけではありますが、
元々豊後高田にある昭和の町を、一度見てみたいと思っていた事もあって。
小倉駅から日豊本線を下り、途中僕が子供の頃育った南小倉駅を経て、
中津で乗り換え、宇佐で下車、そこからバスと、片道2時間ほどの行程でした。


昭和の町は、郊外店に客足を取られ、すっかり衰退していた地元商店街が、
起死回生を賭けて、時代の流れに取り残されていた古い店舗を逆利用。
更に太宰府在住だった、日本一の駄菓子屋のおもちゃコレクターの方を、
何度も何度も足しげく通ってくどき落とし、遂に豊後高田に呼び寄せて、
『昭和ロマン蔵』を設立、多数のおもちゃ、映画のポスター、本、日用品を展示。
更に昭和の民家も再現、センサーによって声がしたり、
館内の天井が朝〜昼〜夕方〜夜と変わって行ったり。
昔懐かしいオート三輪の展示や、紙芝居、駄菓子セットの販売、
更に昔の学校の教室も再現してあったり・・・


また商店街へ足を向けると、まさに昭和そのものの街並み。
各店舗には「一店一宝」「一店一品」が揃えられ、
昭和時代のままの価格の食堂なども。
そして何よりも目を引くのが、昭和の給食メニューが食べられる喫茶。
今では入手困難なアルミ製の容器に入った現在16種のメニュー。
時代や地域によって異なるメニューの情報を色々と集め、
鯨など入手難な食材も仕入れて当時の味を再現。
尤も当時は給食は美味しくないもの・・・といったイメージがありましたが、
今食べる給食の味は、懐かしさもプラスされてかとても美味しいものです!
ゆくゆくはメニューを31種まで増やして、
1か月間毎日別々のメニューが食べられるようにしたいとの事。
店先ではちっちゃな子供さん達が、きゃっきゃと遊んでいて、
それもまた思いっきりレトロな感じで・・・(笑)


レトロなんて後ろを振り返るだけ・・・といった批判もあるでしょうが、
でもいくら前ばかり見てても、何も出来なきゃそれまでのこと。
たとえ後ろを振り返ってでも、それをプラスの要因に変えて行くのであれば、
それはそれで全然『有り』じゃないかと思いました。
今回はあまり時間がなく、バタバタ状態でしたが、
また近々今度はじっくりと腰を据えて、
出来れば地元の方たちのお話をもっともっとうかがいながら、
豊後高田の昭和の町に浸ってみたいと思ってます。
そしてそれは、鉄冷えの町から脱皮する町、映画のロケに使われる町、
そう『北九州』に大いに通じるものがあるように感じます。
北九州の街おこしを更に進める上での、
大きなヒントの一つになるのではないかと・・・