全国歌謡ベストテン

ここんとこ色々考える事が山積みで、
なかなか更新も出来ておらずすみません・・・m(_._)m


さてさて久々のチャートネタですが、
今回は文化放送をキー局に全国ネットされていた、
歴史的な邦楽ランキング番組のご紹介です。
その名も「全国歌謡ベストテン」。
スタートは1962年のことですが、新聞の縮刷版でラテ欄を調べたところ、
当初はナイター期間中は半年間休みになってたり、
結構ブランクがあったようです。
尤もたとえキー局で放送されていなくても、
ネット局ではちゃんと放送されているという、
いわゆる「裏送り」というやり方もあるので、
ランキング自体は連続して作成されていたのか、当時の詳細は不明です。


当初のパーソナリティは小野俊雄さん(?)という方らしいのですが、
僕はこの方を全く知りません。
そしておそらく2代目のパーソナリティにあたる方が、
僕の大学時代の先生でもある、茂木幹弘さんです。
「ユア・ヒット・パレード」の初代DJとして知られる方ですが、
僕にとっては「全国歌謡ベストテン」が先生との出逢いになります。
当初は葉書リクエストのみによるランキングで、
全国各地区から集計結果が速報で入って行き、
番組最後に総合ランキングを決定、ベスト30を一気に発表します。
この頃は音楽番組というよりは、むしろ選挙速報的な
報道番組に近い雰囲気を醸し出していました。
1970年からはコンピューター集計となり、
葉書の他に電話リクエスト、レコード売り上げ、選定委員会ランキング等、
様々なデータに基づくチャートとなります。
ただ全国集計である為か、動きが遅いという指摘がよく見受けられます。


以前たまたま知り合いになったあるラジオ関係の方から、
数々の番組の貴重なランキング・データを
お送りいただいた事がありましたが、
その中に「全国歌謡ベストテン」100回記念の
総合ランキングというのがありました。
1位はダントツで橋幸夫さんの「白い制服」。
他にも橋さんの曲は多数が上位に入っており、
当時のリーダー的役割だった事が感じられます。
次いで三橋美智也さんの強さも目立ち、
戦前からの流れを受け継ぐ流行歌の類いも、
まだまだ健在だった事が忍ばれます。
舟木一夫さんや西郷輝彦さんは、
デビューしてから日が浅く、やっとこさ御三家勢ぞろい
といった時期である事も判ります。


前述の新聞の縮刷版を見て行くと、
1964年には橋幸夫さんの「恋をするなら」が、
新記録達成!と書いてあります。
その内容は不明ですが、おそらく初の10週連続1位獲得
といったものではないか?と推察します。
僕が実際にこの番組を聴くようになったのは、
1967年の1月頃からです。
それではここで、「全国歌謡ベストテン」の
各年度別の年間No.1曲を、判る範囲でお知らせしましょう。
なお年間チャートの発表が無かったり不明な年は、
  1位10点、2位9点・・・10位1点として単純集計、
そのポイントによるNo.1曲を、参考までに書いておきます。


昭和42年 夕 笛/舟木一夫
  10週間No.1という圧倒的な強さでした。
昭和43年 艶 歌/水前寺清子
  他の番組ではベストテン入りがやっとという状態でしたが、
  この番組のみでの強さが目立ちました。
昭和44年 京都・神戸・銀座/橋幸夫
  久々の大ヒットと言われましたが、この番組ではその前後にも
  「恋はせつなく」「赤い夕陽の三度笠」「乙女川」「東京ーパリ」
  が1位、「荒野のまごころ」が2位と、人気は今だ衰え知らずでした。
昭和45年 手 紙/由紀さおり
  5月からコンピューター集計によるランキングに変更、
  年間チャート発表なしですが、単純集計では10週間No.1のこの曲。
昭和46年 また逢う日まで尾崎紀世彦
  年間チャート発表があったかどうかは不明ですが、単純集計ではこの曲。 
昭和47年 ひとりじゃないの/天地真理
昭和48年 危険なふたり/沢田研二  
  年間チャート発表があったかどうかは不明ですが、単純集計ではこの曲。
昭和49年 よろしく哀愁郷ひろみ
  歌手別のランキング発表で、No.1は西城秀樹ですが、
  曲目別での単純集計ではこの曲。
昭和50年 私鉄沿線/野口五郎
昭和51年 横須賀ストーリー山口百恵
昭和52年 ウォンテッド/ピンク・レディー
昭和53年 UFO/ピンク・レディー
昭和54年 関白宣言/さだまさし
昭和55年 ダンシング・オールナイトもんた&ブラザーズ
昭和56年 ルビーの指環寺尾聰
昭和57年 聖母たちのララバイ岩崎宏美
  年間チャート発表があったかどうかは不明ですが、単純集計ではこの曲。
昭和58年 ガラスの林檎松田聖子
昭和59年 涙のリクエストチェッカーズ  
  歌手別のランキング発表で、No.1はやはりチェッカーズ
  曲目別での単純集計ではこの曲。
昭和60年 あの娘とスキャンダル/チェッカーズ
昭和61年 DESIRE/中森明菜  
  歌手別のランキング発表で、No.1はやはり中森明菜
  曲目別での単純集計ではこの曲。
昭和62年 君だけに/少年隊
昭和63年 ガラスの十代/光GENJI
  なぜか前半のみの集計です。


平成 1年 Diamonds/プリンセス・プリンセス
平成 2年 夢を信じて/徳永英明
  この年も前半のみの集計です。
平成 3年 はじまりはいつも雨/ASKA
平成 4年 それが大事/大事MANブラザーズ・バンド
平成 5年 負けないで/ZARD
平成 6年 イノセント・ワールド/ミスター・チルドレン
平成 7年 TOMORROW/岡本真夜
平成 8年 アジアの純真パフィー
平成 9年 HOWEVER/GLAY
平成10年 (年間チャート発表不明)
平成11年 AUTOMATIC/宇多田ヒカル
平成12年 TSUNAMI/サザンオールスターズ
平成13年 Can You Keep A Secret?宇多田ヒカル


それで長い歌謡曲の歴史の中では、
当時の様子が正しく伝えられていないという状況も生まれます。
例えば「ラブユー東京」黒沢明ロス・プリモス
   「星影のワルツ」千昌夫
このあたりが昭和41年のヒットであるという記述をよく見ますが、
実際にヒットしたのは昭和43年のことです。
また「女のみち」ぴんからトリオ
  「なみだの操」殿さまキングス
このあたりがNo.1を独走したような記述もありますが、
実際にはそれはレコード売り上げを重視した番組のみであって、
当時大半を占めていた葉書のみによるランキングでは、
殆どの番組でベストテン入りがやっと、
特に僕の地元北九州・福岡地区の番組では、
ベストテン入りすら出来ずというところが多かったのです。
また当時のグループサウンズの扱い方の不徹底ぶりも
リアルタイムでない方々には、想像もつかないと思います。
謡曲の番組に入ることは少なく、
多くは洋楽の番組に登場していました。
しかし「全国歌謡ベストテン」では、このGSは比較的健闘しており、
特にタイガースは「僕のマリー」でいち早くベストテン入り、
「花の首飾り」「シー・シー・シー」はNo.1に輝いています。
しかし例えばジャッキー吉川ブルーコメッツは、
「何処へ」で初チャート入りを果たしたものの、
おそらくGS史上最大のヒットである筈の「ブルー・シャトウ」が
全く登場していないなど、かなり一貫性を欠くという印象です。


まあ当時の状況をなるべく正確に伝え、
音楽によって当時の雰囲気をよりリアルに描き出す、
いわゆる「音楽による時代考証」。
それが僕がやって行きたいと思うことのキーワードです。  



今日の最後にやはりこの事は書いておかねばならないでしょう。
皆さんも既にご存じでしょうが、加藤和彦さんが亡くなりました。
加藤さんと言えばロック・ファンの方にとってはミカ・バンドでしょうが、
やはり一般的にはフォークルの加藤和彦さんでしょう。
大ヒットの「帰って来たヨッパライ」の印象があまりに強すぎるでしょうが、
フォークル(フォーク・クルセダーズ)は、
トータルアルバム、インディーズ、覆面バンド・・・
その他諸々の概念を日本でいち早く実践した、極めて革新的なグループでした。
そんな意味において「日本のビートルズ」と呼ぶのに最もふさわしいのは
実は彼等ではないか?とすら思っています。
コミカルな曲もたくさんある反面、
あまりにも美し過ぎる曲もまたたくさんあります。
特に加藤和彦さんはフォークル解散後も、
ソロ活動はもちろん、色々なグループを結成〜解散〜再結成を繰り返し、
その度毎に数多くの名曲を生みました。
加藤さんが書いた曲で特に好きなのは、
  「ドリーム・オブ・ユー」竹内まりや
  「ドゥ・ユー・リメンバー・ミー岡崎友紀
  「愛してモナムール」岩崎良美
  「メロディー」西田ひかる加藤和彦
といったところですね。
もちろん他にもいっぱいいっぱい名曲有ります。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。